あめちゃん(仮)

かんじゃにえいとの歌詞の意味を考えてみたブログ

本当は深い「CANDY MY LOVE」と「夏の恋人」の歌詞とMV(考察)

  
 
 女装!!カワイイ!!!!ぐらいのテンションで聴いていたら、ふと思った。この曲、やけに詞が重いと。
 それが2015年の夏に発売された関ジャニ∞の曲、「CANDY MY LOVE」。特にサビの「あなたがいなければわたしの生きている意味なんかない♪」なんて、女装に惑わされるけど実はものすごく暗い歌詞。さすがにもう生で聴くことはできないのかな、、と思っていたら、なんと昨年冬からのドームツアーでアコースティックでやってくれました!!ブルーレイのほうに特典で入っています。
 衣装に惑わされずにストレートに歌詞を聴かせるようなアコースティックで、改めてこの歌詞の闇を感じました。そしてこの曲のMVや、アンサーソングである「夏の恋人」の歌詞と照らし合わせながら聴いているうちに、なんとなく私の中でこれはこういう歌なんじゃないか?という解釈ができました。歌詞とは、詩や絵画のようにさまざまな解釈があって楽しめるものだと思っています。これから書くのはあくまでも私の解釈にすぎないので、「こういう聴き方もあるんだな」ぐらいで読んでいただけると嬉しいです。
 
でははじめます。(死ぬほど長いです。)
 
 
∞意味深な「生きることはリアルね」

 この曲は「わたし」が「あなた」への想いを主に歌っている。

 この「あなた」とはどういう存在なのかをわかりやすくするため、歌詞の中の「あなた」に関する部分だけを整理してみた。

  • 「逢いたい」「でも逢えない」
  • 「まだ逢ったことないのかも」
  • 「わたしのためにならなんでもしてくれる」
  • 「ほほえみをあなただけがくれる」
  • 「あなたがいなければ私の生きている意味なんかない」
  • 「まだ見ぬ」
  • 「わたしの」

 「あなた」とは、逢ったことないのに、わたしのためにならなんでもしてくれて、ほほえみをくれて、生きている意味にまでなっている存在。そして歌詞には「わたし」に対してしてくれたことばかり書いてあるものの、わたしからあなたにしてあげたことや、意思や言葉が交わされるような描写はない。逢ったことない相手なのに、どこでほほえみをくれたのか?どうして逢えないのか?そもそも「あなた」とはどういう関係なのか?そう冷静に考えてみると、「あなた」との関係性にはかなり不思議な点が多い。おまけに逢ったことあるかどうかは曖昧であり、「この前逢ったのいつと聞かれても答えられない」と言って横子に「頭大丈夫か?」とまで言われてしまっている。

  この不思議な状況が考えられる可能性を考えてみた。

 たとえば、ネットの中で出会った相手だった場合。あるいは、相手が芸能人だったりしてこちらだけが一方的に知っている場合。全体を読んでも両方の可能性があり得るものの、今回は私は後者で読み取ってみることにする。この「あなた」が芸能人だと考えると、「わたし」が逢ったことはないのに知っていて、逢いたくて、(テレビやコンサートで)ほほえみをくれて、生きている意味。という描写に辻褄が合う。

 

 次に「あなた」以外のことを歌っている部分を読んでみる。

友達の笑い声が なぜかむなしくカラダをすり抜ける
生きることはリアルね 知らない誰かがつぶやく

(中略)

ひとりさみしい夜にネットの中のわたしははしゃいでる

友達の数ほどの安らぎ わたしにください

  「つぶやく」はいまやツイッターに投稿するという意味の言葉として広く浸透している。「知らない誰かが」という主語も含めて考えれば、この「つぶやく」はおそらくツイッターのことだと考えられる。ここで誰かがつぶやく「生きることはリアルね」とは、いったいどういう意味なのか。「リアル」は直訳すれば、現実。最近では、恋人がいたりして私生活が充実している人のことを「リアルが充実」の略で「リア充」と呼ぶように、リアルとは現実の生活のことを指す言葉でもある。「生きることはリアルね」とは、「生きることは、現実の世界を生きること」であると、ネットという仮想の世界の知らない誰かはつぶやいているのかもしれない。そして、リアルが現実だとすれば、その反対は「非現実」だ。

 これを見ている「わたし」は、まだ見ぬ「あなた」という存在に恋い焦がれてひとりさみしい日々を送っている。けれどそんな彼女にとっては

あなたがいなければわたしの生きている意味なんかない

なのだ。

 アイドルは現実か非現実か。それは難しいテーマだ。この世界には確かに存在する人だけど、違う世界に存在するとも言える人。ファンはコンサートに行くことをよく「会いに行く」と言うけれど、それは実際に逢うことかと言われたら、何とも言えない部分がある。冒頭の「この前逢ったのいつと聞かれても答えられない」という歌詞もそんな気持ちを表しているのかもしれない。リアルじゃない世界の人に恋をして、それでもリアルの世界で生きている理由はあなたしかない。だから、強く生きる勇気もあなたからでないともらえない。

 

∞現実でない場所で逢える彼

 しかしMVの中で、すば子の恋する相手が登場する場面がある。

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 黒のタートルネック、この人も本気のときなのかしら。。

 このシーンにはかかなり重要なことがふたつある。

1.背景の光が七色
 さすがにこの解釈は考えすぎか?とも思ったけど、結構ハッキリと七色になっているし、対してすば子はふつうに白い光なので、やっぱり何かの意図があるんじゃないかなと思ったのがこの演出。(光が偶然にこの色なら、すば子もそうなはず)。七色と言えば言わずもがな、関ジャニ∞のメンバーカラーである。メンバーカラーはアイドルの表現として使われているのかもしれない。だとしたら、すば子の恋する「あなた」はアイドルだということを表現していると読める。
 
2.すば子の天使の羽

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 羽が生えたすば子が出てくるのは、この七色の錦戸くんに逢えるシーンと最後だけ。この羽は何を表しているのか?

 天使はよくファンタジーや死後の世界のモチーフとしても登場する。つまり、現実とは違う世界。先ほど出てきた「生きることはリアル」を単純にそのまま言い換えれば「生きていないことは非現実」。天使の羽を背負った状態でのみ好きな人に逢えるすば子が意味するものは、「非現実の世界でしかあなたに逢えない」ということ。

 しかも言葉も交わすこともなく遠ざかってしまう。

 ネットの中(=非現実)でははしゃげるのに、リアル(=現実)ではほほえみをくれるのも、生きる意味も、あなただけ。でもそんなあなたには非現実の世界でしか逢うことができない。せつない、、、、!!

 

アンサーソングの二人称問題

 長くてすみません。ここからはそんなCANDY MY LOVEのアンサーソング丸山隆平さん作詞の「夏の恋人」を重ね合わせていきます。

 これが本当に文字通りアンサーしまくっている曲で、まず歌詞がつながっている部分を抜き出してみると

  • わたしのためにならなんでもしてくれる → お前のためなら何でもするよ
  • 強く生きる勇気ください → 勇気なら僕があげるよ
  • 逢いたい → そうだ、会おう
  • せつなすぎるひとりの夜は → せつないの?
など。
 従って、この曲の「僕」=CANDY~で呼び掛けている「あなた」。しかもCANDY~のサビで「あなたに」と呼び掛けていたのはすば子だったのに対し、夏の恋人ではその返事になる部分を、MVですば子の想い人として登場した錦戸くんが歌っている。このこだわり!

 この曲の「君」は「物憂げに携帯だけ眺める」様子からしてCANDY~の「わたし」、そして「お前」も、CANDY~での呼びかけに返事をするときに使っているから同じ。わかりにくいが、要するに君=お前=すば子になる。では、この呼び方の違いは一体なんなのか。

 呼び方を整理してみると、「お前」と呼んでいるのはサビの部分であり、詞の内容としてはCANDY~の歌詞に返事をしている部分。「君」と呼んでいるのはサビ以外の部分で、内容としてはそんなすば子のことを見ていたり、声をかけられずにいる部分だ。「君」と呼んでいるときはすば子に声をかけられないのに、「お前」呼びのときは呼びかけに答えたり「そうだ、会おう」と言っている。

 すると、ここで疑問が生じる。そんな「君」を見ることはできるのに、声をかけられないのはなぜか。

 この「僕」は、CANDY~での解釈で言えばアイドルである。そこにはアイドルという職業としての「僕」と、プライベートな「僕」、ひとりの中にふたつの視点を介在させられる。そこで、この呼び方の違いを立場の違いとして考えて見る。「お前」呼びのときがアイドルとしての言葉で、「君」呼びのときはそうでない普段の心情を歌っているときとして考えてみたい。

 これは少し極端な例だけれど、丸ちゃんがよくコンサート中にイッツマイソウルの「君に夢中」の部分を「お前らに夢中だぜ!!」と言って客席を煽ってくれるように。アイドルとしての「僕」が言う言葉として「お前」は自然な表現かもしれない。 

お前を

(ただ夢中で愛して)
お前に
(ただ夢のなかで捧げて)
せつないの?
(その瞳に俺だけうつして)
そうだ、言おう
(お前のためなら何でもするよ)
そうだ、会おう

勇気なら僕があげるよ

 これがアイドルとして、ファンであるすば子に向けての言葉なら、「夢の中で捧げて」という表現がすごく的確で秀逸だ。「夢中」と「夢の中」でかけているけれど、意味は異なる。アイドルはファンに夢を見せてくれる存在。ただ夢中で愛して、それでも夢の中でしか捧げることができない。

 生きる勇気をくださいと言うすば子に、勇気ならあげるよと言ってくれるアイドルの「あなた」。でも実際には夢の中でしか捧げることができないので、

物憂げに携帯だけ眺める君に

どんな言葉をかければいいの?

 と、現実では声をかけることができない。だから、ここでは現実の「僕」の心情として、お前ではなく君という呼び方になっている。

ねえ 僕にしかできないことって何?

いつでも満たしてあげたいから

「いつでも」満たしてあげたいけど、実際には夢の中(アイドルの姿)でしか笑わせてあげることができない。でも、すば子がCANDY~で呼び掛けていた「あなた」はアイドルとしての彼なので、その言葉にはアイドルの視点であるサビで返事をしている。

 この曲は、アイドル張本人の丸ちゃんが作ってくれた「ちゃんと声は届いてるよ。逢えないけど、普段の君のことも笑わせてあげたいよ。アイドルの僕にできることがあるなら、夢の中で捧げるし、勇気をあげるよ」というアイドル張本人作詞のアンサーソングなのだ。

 

∞「夏の恋人」って誰?

 しかしそんな中で唯一、触れようとしてくれる部分がある。

あなたに触れたら夏の日差しに溶けて
消えた。

 実はここであとにも先にも出てこない「あなた」が出てくる。この「あなた」も同じくすば子だとするなら、前述の通り、実際に触れることはできないはずだ。

 すば子を含むキャンジャニちゃんは、この曲を発表して、そのあとCDも出していないし活動はしていない(実際にはその年の関ジャニ∞のドームツアーにちょっと出てくるけど)。この曲はアンサーソングなので、そのキャンジャニちゃんに答えている曲だということははっきりしている。ずっと「僕」が答えてきた彼女、つまりはキャンジャニまさに夏が終わると同時に消えてしまった。

そう、この曲のタイトルの「夏の恋人」とは、この曲の主人公ではなくてすば子(キャンジャニ∞)のことだ。「溶けて」という表現も、キャンディとかかっているのかもしれない。そして歌詞はこう続く。

ずっとこんなこと繰り返すのか
ずっとこんなこと繰り返してる
つかめないお前に首ったけさ
「ごめんね。」

 この「ごめんね。」を言うのは横山さん。この部分について、作詞した丸ちゃんは、「女々しいセリフを言わせたら一級品だと思って横山さんにした」と発言している。「つかめないお前」はすば子であり、つまりはファンという存在でもある。逢えないし触れることはできない。そんな相手のことを夢中で愛して夢の中で捧げると言ってくれているアイドルの「僕」。そう言いながらも現実ではどうすることもできないことへの葛藤。それについて自問自答しているのか、あるいはだれかに揶揄されたのか。そんな切なくて優しい言葉がこの「ごめんね。」なのかもしれない。

 

∞「会おう」から「逢おう」へ

 そして曲は最後のサビに入る。

  ここで地味だけど重要な違いが一つある。それは、最初のサビでは「そうだ、会おう」となっていて、最後のサビでは「そうだ、逢おう」になっている。ちなみにCANDY~のほうではすべて「逢いたい」で統一されている。

 「会う」と「逢う」は、広辞苑で確認すると同じ意味とされていた。しかしそれなら統一するはずなので、あえて違う字を使っていることには意味があるはず。辞書にはない俗語的な感覚も取り入れて考えてみたい。常用漢字でないという印象からか、「逢う」のほうが重みがあり、たとえば街で偶然ばったり会ったというときに「逢う」は使わないだろう。何か特別な意味のある出会いや、デートなどでお互いが行こうとしたような場合に使う言葉だ。

 まず一回目に「会う」を使っていることに注目したい。こんなにも歌詞をリンクさせているのに「逢いたい」に「会おう」と返しているのは不自然である。ただ言われたことにそのまま返すだけなら、ここでは字も合わせて「逢おう」を使うのが自然だろう。わざわざ書き換えたのは「僕」がアイドルで、実際には「会う」ことしかできないから。そして、それを最後に「逢おう」と書き換えてくれたのは、夢とか現実とか、リアルとかバーチャルとか、そんな壁を越えて「逢おう」と言ってくれる、アイドルの「僕」からの希望に満ちたメッセージが込められているからかもしれない。

 

∞まとめ

ここまでこんなに長くてややこしい文章を読んでくれてありがとうございます!!!読んでくれた方いるのでしょうか。。

 

ここで全体を簡単に振り返ってまとめてみます。

CANDY MY LOVE

→主人公(キャンジャニ)が想い焦がれる「あなた」への想いを歌った曲。相手はアイドルなので、コンサートに行って会うことはできても、逢ったことがあるかと聞かれたら答えられない。ほほえみをくれるのはあなただけで生きている意味もあなたなのに、リアルの世界では逢うことができない。でも生きることはリアルだから、強く生きる勇気をあなたにもらいたい。MVの羽は非現実の象徴で、七色の光はエイトのオマージュでアイドルの表現。

 

夏の恋人(アンサーソング

→その呼びかけに答えた曲。現実で言葉をかけてあげることはできないし触れられないけど、そんな逢えないファンのことを愛しているし夢の中で捧げるし、生きる勇気は僕があげるよ。最後はそんな夢や現実の扉を超えて「逢おう」と言ってくれる。

 

 実は最後にこの「夏の恋人」には、歌詞カードにないセリフが入っているのだけれど、それは歌詞カードにないのと、内容からして半分ジョークかなと思ってるのですが。。それはまた別で書きたいと思います、

 自分用のまとめとしても書いた記事でしたが、この解釈で聴くと切なくて泣けるのでぜひあらためて聴いてみてください!お読みくださりありがとうございました(・_・、)